誰かが大事にしてくれた自分の人生を、大切にしたいと思う

新潟帰省最終日。

伯父の生前の話を聞く。

 

子供がいなかった伯父伯母夫婦に、

私や姉、いとこたちは子供同然に可愛がられて育ってきた。

自分が何か特別なにかをした記憶はないのだけど、伯父は特に私を可愛がってくれていた。らしい。(ほかの兄弟より特別だと思っていなかった)

 

たしかに、

2人で営んできた飲食店を、ほかの兄弟たちより縁あって長く手伝ってお小遣いをもらっていたり、

近所に住み、私の通っていた大学がその飲食店の通り道ということもあり、よく送り迎えをしてもらっていたこともあるので、

たしかに接点は多かったとは思う。

けど、いわゆる心の深い触れ合いは特に何かがあったわけでもなくて、

辛いことがあっても相談するということもなくて(家族・親族に自分の悩みを相談するという発想すら私にはもともとなかった)、

ただ、たまたま「時を長く過ごしたくらい」の認識を相手は持っているだろうと思っていた。

私とも、私以外の兄弟とも等しく仲良かったのだから。

 

大学の奨学金の連帯保証人は、伯父に頼んでいた。

そして私が就職で故郷の新潟を離れて、東京に行くことを伯父は素直に応援してくれていた。

「いざとなったら奨学金100万円くらいだったら俺がなんとかするから」

そんな言葉を残して。

 

そんな伯父は数年前亡くなった。

亡くなった後、いろいろと自分が愛されていたんだなと、気づかされることが、多かった。

 

伯父の葬儀で初めて会う親戚がいた。

そしてそこで「この子が、あいつが一番娘のように可愛がってた子か」と言われた。そんな風に生前話されていたなんてまったく知らなかった。

 

そして今回の帰省で私の知らなかったことが2つあった。

1つ目は、私が忘れていたことだけれど、

就職で東京に発つ前、伯父は「東京でがんばって、力をつけたら新潟で独立すればいい!その時は俺がカンパしてやるよ!」と、言っていたらしい。私自身はまったく覚えていなかったのだけど、それを聞いて、やっぱりいつか新潟の仕事をしたいなと、改めて思った。

 

2つ目は、本当に今日知った事実なのだけど、

私が6歳の時、伯父伯母はマンションを建てた。(最近まであんまり知らなかった)

伯父がマンション名を決めるときに私の名前に近いのがいい!と言っていたそうで、

伯母がじゃあサティはどう?と提案して決まったそうだ。

(サティという名前と私の名前、まあ、遠くもないけどかといって近いのか?というツッコミはあるのだけど)

私が6歳のとき、正直姉は生まれているし、同い年のいとこも生まれている。

伯父にとって甥っ子姪っ子は私以外にもいたのに、私の名前を指定してくれていた。

 

正直、大事にしてもらうほどのなにかを幼少の自分がしていた理由があまり記憶にない。

新潟を離れるまでも、そこまで愛情をかけてもらえるほどの何かをできたという自覚もなかった。

 

でも伯父は、私のことを大切に、大事に、愛してくれていたんだと思う。

そうやって大事にされた、私の人生を、私は、とても大切にしたいと、こころから、思う。