【あいちトリエンナーレ】表現の自由について

ずっと気になっていた あいちトリエンナーレへ、行ってきました!

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「情の時代」というコンセプトのもと、社会へメッセージを投げかける作品ばかりで、いろいろ考えさせられることがあったり社会への皮肉を感じることがあったり、興味深くおもしろかった。

単に見た目を味わう芸術作品も多かったけれど、全体的におもしろいと思ったところは、
おもしろいと思ってしまってはいけないのだけれど、
ニュースで騒がれていた影響で少なくない数の作品が「展示中止」もしくは「一部展示の中止」をしていたこと。
表現の自由を奪われたことに対して、アーティストが自らの作品の展示を取りやめることで、表現の不自由に抗議をしていたところ。
扉を閉ざされた作品、映像が上映されない薄暗い部屋。中にはキャンバスに「意図的な」新聞を覆っていたものも。
一体どんな作品が展示されていたんだろうか。

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表現の自由を奪うということは、表現を受け取る自由が奪われることなんだと感じた。
ひとりひとり違う人間なのだから、意見が違うのは当たり前。むしろ、その人の意に反したことに対して怒る・批判するのは自然な感情で、正しいこと。
ただ、意見が違うからと弾圧するのは違うのではないか。
自分の意見だけが正しいと思い込み、世の中の体裁に忖度して、異なる相手を認めようとしない。違うからこそスタートなのに、その世界の枠組みを決め込んで、シャットダウンしてしまうのは、あまりに乏しく、思想に色気がない。

何故誰かの意見によって、私は表現を受け取る自由を奪われないといけなかったのか。
うまく言えないけれど、日本の国または人の心が豊かであれば、怒りの意見はあっても展示がなくなるようなことにならなかったんじゃないか。
多くの展示がなくなってしまったことに、最早日本は豊かではなく、貧しい国であることを思った。


……とまあ、ここまでだいぶ熱く長く書いてしまったけれど、
今回何よりも驚いたのは、あいトリ会場に突如 あいトリの芸術監督で、今回最もメディアに批判を受けただろう、津田大介さんがひとりで登場&鑑賞し始めたとこに遭遇したこと。あまりに突然で、また津田さんの存在を知らない人も多かった

まさかご本人に遭遇できると思っておらず、テンション爆上がりしたけど、あんなニュースになって色んな責任を負い、ひとりの人間として傷ついていないはずかない人に、簡単に「がんばってください!」とも「展示面白いです!展示できないなんて世の中おかしいですよね!」とも声をかけられなくて、簡単に声をかけてしまってはいけない気がして、結局は何もできなかった。
私の表現が不自由だった、というオチ。

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