働く場では本当の自分であるべき?

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仕事の自分と、地の自分で価値観や性格が違っていて、どちらが本当の自分なのか、両方あるのが正しいのか、ずっと引っかかっている。
仕事の自分は本当の自分ではないという予測のほうが強くて、
仕事に対する向き合い方なのか、職種なのか、場なのかはこのままではいけないと考えていた。

 

そんなことをボヤボヤとお風呂で考えていたとき、そのモヤモヤには組織?に求めてるいくつかの段階があるんじゃないかと思った。それは
①共感という理解している(同じ価値観を持つとは限らない)状態

②同化という同じ価値観を持っている状態

の2つの段階。

 

共感レベルであれば、相手を尊重し合う土壌があればできるようになるかもしれないけれど、同化レベルだと悩んでる状況なら難しいかもしれない。

より詳細をいうと、他者の立場として受け入れて「へえ、それいいね」と言うのと、本当に価値があると思って「それ、すごくいいね!」というのは、だいぶ違いがある。

職場という場をただの1つの場として捉えるならば、共感を得られれば良いかもしれないけれど、

同化までを求めるならば、共に働く人に自分と同じであることを厳密に、厳しく求めるので、モヤモヤを抱えやすいのかもしれない。


自分がどうか、というのは置いといて、モヤモヤを抱えてる人は自分が求めるのはどちらなのかを考えると多少はスッキリするかもしれないな〜と、ぼんやりと考えた。

 

とはいえ、本当の自分って、なんなんだろうなあ、とボヤボヤする夜。