震えながら、何者にもなれない自分と向き合う。
京アニの事件を見て思ったこと。
他人を恨んで(そして傷つけて)、それが本人を幸せに導くだろうか。
他人が傷ついて自分が幸せになることは、きっと本質的にはない。
他人の不幸が、自分のスキルや名声を与えてくれたりはしないからだ。他人の不幸が自分のスキルと何も関連しない。例え競い合ってる相手であっても、相手の不幸が自分の順位を上げることはあるかもしれないけれど、自分に変化がなければ、周囲の羨望の眼差しも、きっと自分の価値以上にもらうこともない。
自分を幸せにできるのは自分だけなんだ。
他人を恨み、責めて、自分の本当の幸せに向き合えないのは、本当に怖い。
今回事件を知って、改めてそう思った。
自分の価値を見定める、張り裂けるような苦しみと孤独を、簡単に人は受け入れられないし、直視できない。
だからこそ、他人のせいにして、自分の本質から逃げ出したくてたまらない。
その絶望が、痛いほどわかる。
自分もいつか、傷つけてしまう側にならないという保証はどこにもない。
向き合うことから逃げても、結局幸せになることなんてできないんだよな。だったら、休憩も必要だけど、向き合うことから、逃げちゃいけないんだなって。思った。